日本国有鉄道は1964年末、「国鉄監修 交通公社の時刻表」(現 JTB時刻表)1965年1月号にて年末年始期間(1964年12月26日~翌1965年1月7日)に東海道新幹線にて日跨ぎを含む臨時列車の設定を行うと公表した。【週刊新幹線4号】となる今回はこれについて見ていく。
前回記事となる1964年10月1日の東海道新幹線ダイヤ改正についてはこちら!
1. 臨時列車設定の背景
1964年10月1日、東海道新幹線は突貫工事の末東京オリンピック開会10日前に完成させることに成功し、東京~新大阪間を従来より2時間30分弱速く結ぶことができるようになった。しかし開業後初の週末となる2日金曜日、3日土曜日、4日日曜日は東海道新幹線「ひかり」「こだま」各列車札止め(満席)となり、早速混雑の収集がつかなくなっていた。当時は「ひかり」「こだま」とも全席指定であり、新幹線はマルス非対応のため全て駅(当時みどりの窓口は存在しない)や旅行会社などの係員が電話で予約処理を行っており、完全手動発券であったことから発券も30分では済まないこともままあり、てんやわんや状態となっていた。
そこで日本国有鉄道は混雑緩和により増発を行うこととなったのだが、増発を行うということは発券できる座席数が増えることを意味していた。そのため、これまで在来線を含め特急列車は全席指定だったものを1964年12月26日より東海道新幹線特急「こだま」号に限り当時12両編成中半分に当たる1号車~6号車(全て2等車・現在の普通車)を自由席として開放したのである。これは高速鉄道史上初の自由席設定であり、戦後日本を走る全特急列車でも初の設定となった。当時の自由席新幹線特急券は新幹線特急券(指定席)の100円引きで設定され、乗車前に発券に係る時間が大幅に短縮されたことで大きく利用された。
また、1964年10月1日に開業した東海道新幹線であったが、12両編成の新幹線車両(後の0系新幹線)の導入編成数は30に対し定期列車運用数は24であり、仕業検査や交番検査などの各種検査を組んだり予備車両を考えると余裕のない状態となっていた。年末年始の帰省ラッシュ混雑に太刀打ちできないのは重々承知だったが、運用に余裕の出る早朝・夜間にしか臨時列車を設定できない事態となった。そこで日本国有鉄道では新幹線の運行時間帯となっていた6時~24時の範囲を飛び越えて新幹線を運行することにしたのであった。
2. 深夜時間帯初の列車設定
1964年~1965年にかけての年末年始臨時列車運転では、昼間は予備を除くと運用数ギリギリまで使っていたため増発は早朝夜間に限られることとなった。設定されたのは全て東京・名古屋・京都・新大阪のみ停車の列車で、1964年10月8日~25日に設定された静岡→東京間の各駅に停まる「こだま」のように各駅に停まる臨時列車は設定されなかった。
今回設定されたのは、下り新大阪方面は東京19時45分発、20時15分発、21時15分発の3本、上り東京発は新大阪3時50分発、4時05分発、19時40分発、21時ちょうど発の4本が用意された。上下とも19時台に運行しているのは、1964年10月1日ダイヤ改正におけるパターンダイヤとなっている毎時30分発の「こだま」が19時台だけ存在しないため、前方に抜かす列車がないこと、また運用数を極力増やさないようにするためだと思われ、運用数も推定で25運用(定期便のみ運行時+1運用)となった。当時東京~新大阪間は最速の超特急「ひかり」号でも4時間かけて運行していたことから、東京・新大阪19時台発の上下1本ずつを除いて0時~6時の間を運行するダイヤをとることとなった。
3. 途中名古屋・京都にしか停まらない臨時「こだま」の登場
0時~6時の深夜・早朝を運行するには、当時は保守間合いとしての意味合いしかなかったとはいえさすがに日本国有鉄道も少し徐行しようという話が持ち上がった。しかし徐行しては東京~新大阪間を4時間で運行できなくなってしまう。停車駅としては「ひかり」タイプではあるが、4時間で運行できないのに割増な超特急「ひかり」号用4時間特急料金としてとるわけにはいかない。
そこで日本国有鉄道は停車駅は途中名古屋・京都のみとしながら早朝深夜運行のため全線運行時間が4時間10分以上になる列車を特急「こだま」号として運行し、割安な5時間特急料金として利用できるように設定したのだ。もちろん「こだま」として運行されるので、先述の通り車両の半分は2等車自由席での運行となった。臨時列車の号数の振り方は臨時「ひかり」が350番台、臨時「こだま」が370番台となった。名古屋・京都のみ停車の「こだま」となったのは下りは東京21時15分発「こだま375号」(4時間25分運転)の1本、上りは新大阪3時50分発「こだま372号」(4時間10分運転)、新大阪4時05分発「こだま374号」(4時間10分運転)、新大阪21時00分発「こだま376号」(4時間15分運転)の3本となった。当時各駅停車タイプの特急「こだま」号が5時間運転だったことを考えると、「こだま」にしては非常に速い運行となった。「こだま372号」については史上初の東海道新幹線の臨時列車として1964年10月に運行された静岡→東京間の各駅に停まる「こだま」と同じ号数であったが、期間が重複しなかったことと手動発券であったためにシステムをいじる必要もなかったこともあり僅か2か月後に再利用したのだろう。とはいえすべての深夜運転列車が「こだま」になったわけではなく、下りの東京20時15分発は日付を跨いで運行されたのであるが、「ひかり353号」として4時間運転で走破した。
4. 深夜新大阪着でも接続列車を運行
このようにして早朝・深夜に名古屋・京都のみ停車の「こだま」を運行したわけだが、臨時とはいえ新大阪に1時40分に着いて、新大阪を3時50分に出発する列車に需要があるのか、疑問に思った方もいただろう。1時台~3時台には列車は普通運行されないのは日本国有鉄道も承知していた。もっというと特急料金払って1時台~3時台に着くくらいなら東海道本線の夜行客車普通列車(当時は大阪行き・姫路発であったが、のちの大垣夜行→快速「ムーンライトながら」)の方が寝ながら着けるので、真夜中に大阪へ向かう利用がそんな時間には多くはないだろうというのも承知していた。当時東京~新大阪間のみ利用だけではなく中国・九州地方までの乗り継ぎ客でごった返していた東海道新幹線の混雑を抑える秘訣は、真夜中の新大阪で客車急行に乗り継がせることであったのだ。
日本国有鉄道は山陽本線でも新大阪発着で臨時列車の設定を行った。増発されたのは客車急行「筑前」「ぶんご」(新大阪~博多・大分間 門司で増解結)で、下りの博多・大分行きは1964年12月30日・31日の運行で新大阪2時30分発、上りの新大阪行きは始発駅基準1965年1月4日~6日の運行で3時15分着とかなり限られた日程での運行となり、それに接続する「こだま」も客車急行「筑前」「ぶんご」の運行する日に合わせてのみ設定された。下りの九州方面は東海道新幹線特急「こだま375号」と山陽本線方面客車急行「筑前」「ぶんご」を通しで利用する際に座席を確保できるように整理券を無料で交付し、遠距離客に確実に座れるよう配慮されている。上り東京方面ではそのような措置はされず、東海道新幹線側で「こだま372号」と「こだま374号」の2本を運行させることで確実に着席できるように配慮された。名古屋・京都のみ停車の「こだま」4本中3本は、中国・九州地方にできるだけ早く到着させるためのリレー列車要素だったのだ。当時は新幹線と在来線列車(特急・急行・準急)の乗り継ぎ割引などなく、この乗り継ぎ時座席確保整理券が1965年11月1日に実現される通しでの購入による乗り継ぎ特急・急行料金割引制度の祖と言えるのではないだろうか。
5. 開業初年から年越し新幹線の実現
東海道新幹線はこの時開業から3カ月しか経過しておらず、1964年末は新幹線史上初の年末年始輸送となった。その中には先述のように保守間合い時間である0時~6時に運行する列車もあれば日付を跨ぐ列車も運行された。著書でJR東海初代社長・会長の須田寛氏も気づいておられなかったようであるが、日付を跨ぐ列車が12月31日に運行されれば、終着に到着した時には1月1日になる、つまり年を越したことになるのである。
そのため今回も調べていくと、下りは東京19時45分発「ひかり351号」と東京20時15分発「ひかり353号」、上りは新大阪19時40分発「ひかり352号」と新大阪21時00分発「こだま376号」の4本が12月31日に運行されていた。このうち19時台発の2本は23時台に終着駅に到着するため日付を跨いでいないが、残る「ひかり」「こだま」の各1本は日付を跨いでおり、年も跨ぐ運行となったのだ。史上初めて年を跨ぐこととなった超特急「ひかり353号」は京都→新大阪間走行中に、特急「こだま376号」は名古屋→東京走行中でおそらく静岡駅付近走行中に年を越したものとみられる。
さらに特筆すべきは、「ひかり353号」は12月26日から31日まで6日間運行したが、「こだま376号」は新大阪基準12月31日のみの運行で、開業初年の1964年から年を越させるためだけに運行された列車だったのだ。当時在来線では寝台特急を走らせているほど日付跨ぎや年越しは当たり前ではあったが、その当たり前を新幹線にも通用させたのはあくまでも東海道本線の線増だったからなのであろうが、現在では非常に貴重な日跨ぎ・年越し新幹線の運行となった。
6. 結び
新幹線史上初の帰省ラッシュ輸送となった1964年~1965年にかけての年末年始輸送は、現在では考えられない「ひかり」並みの停車駅の「こだま」、日付跨ぎ新幹線のみならずわざわざ年を越させるためだけに設定した新幹線の運行など、21世紀では考えられない多彩な臨時列車を運行した。現在では新幹線の高速化と料金統一によりこれらのことはほぼなくなったが、1960年代はこのような臨時列車を運行しても寛容される時代であったのだろう。次回の【週刊新幹線】もお楽しみに!
出典
国鉄監修 交通公社の時刻表(現:JTB時刻表) 1965年1月号, 日本交通公社出版事務局時刻表編集部, 1964年.(JTB時刻表最新号はこちらから!)
東海道新幹線 写真・時刻表で見る新幹線の昨日・今日・明日, 須田寛 著, JTB出版事務局交通図書編集部, 2000年.
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